森山佐恵物語

この物語は、看護師だった私が想像もしなかった講演家になったきっかけや、
現在にいたるまでに体験した忘れられない出来事のお話をさせていただきます。

肩の力を抜いて気楽に読んでくださいね。

【看護師から講演家へ〜人生を変えたある事件〜】

私は今でこそ講師をしておりますが、元々はそんな人様の前にでてアドバイスするなんて全く考えたこともありませんでした。

看護師を始めたのは25歳。
約10年間、患者様のために1人1人に誠意をつくして
安心した楽しい日々を送っていただけように努力していました。

正直体力的にはきつかったですが、患者様が元気になっていく姿を目の当たりにできる日々に充実感を感じていました。

そんな平和な毎日を送っていたある日、
私の人生を180°転換させるある事件がおこりました。

それはちょうど私が35歳のときでした。

「ピーポー、ピーポー」と慌ただしく救急者のサイレンの音が鳴り響き、
集中治療室に患者さんが担ぎ込まれました。

その方は男性で意識不明の重体。

しかし、交通事故のような目立った外傷はどこにも見当たりません。

彼に一体どんな悲劇が起こったのでしょうか?

脳出血

少し前までピンピンしていても、一瞬で急死してしまう可能性もある恐ろしい症状。

そんな事態が彼を襲ったのです。

そして、その彼の顔を見た私は驚きを隠せませんでした。

(えっ!まさか同年代!?)

大慌てで調べてみると彼の年齢は40歳。

たったの40歳です。

しかも会社の代表取締役を務めていらっしゃる
かなりやり手の事業家の方でした。

長時間に渡る手術の末、
なんとか一命を取りとめることに成功しました。

しかし、その代償はあまりに大きく残酷なものでした。

両目とも視力を奪われ、半身不随で満足に歩くことすらできません。
もちろんトイレや食事も手助けがなければ1人では何1つできない。

そんな重度のハンディキャップと一生つきあう運命を送る事になったのです。

もし1年前に出会っていれば・・・
私の心は今までにないくらい激しい衝動にかられました。

これから彼の家族はどうなるんだろう?

彼の会社の従業員さんの人生はどうなるんだろう?

お客さんはどうなるんだろう?

もし1年前に彼に出会っていて、
彼の生活を改善できていればこんな最悪の事態は起きなかった。

そのはがゆさにいてもたってもいられなくなりました。

しかし、私と患者さんが出会うのはいつも
事件が起きてから…

もうこれ以上同じ患者さんを作り出してはいけない。

そんな強い想いが私を講演家の道へと導いていくことになったのでした。

【有限会社ケンゾーを設立。しかし…】

人生をかけて決断した私は病院を退職し、
1997年7月有限会社ケンゾーを設立。

「健康の大切さと健康の未来を伝えて世の中を元気にする」
この使命の元に私の新たな人生がスタートしました。

「世の中の為になる事をやってるんだから、
きっとみんなにも理解してもらえる!」
そう信じて、額に汗をかきながらところかまわず
飛び込み営業を繰り返しました。

頑張った甲斐があって仕事も次から次へと舞い込んできました……
といいたいところですが、
現実はそう生易しいものではありませんでした。

門前払い。門前払い。門前払い…
まず、最後まで話を聞いてもらえません。

「あんた誰?医者?大学教授?」という質問に、
「いいえ、看護師です」と胸を張って言うと、
「は?看護師に講演なんかできるの?」と 小馬鹿にされたことも少なくありませんでした。

看護師という仕事に誇りをもっていただけあって
本当に悔しくて涙で枕をグショグショにした日もしばしばありました。

今考えてみれば、計画も立てず
なんて無謀なことをしたんだろうと思います。
イノシシのように前だけ向いて想いだけで突っ走ったあの頃。

夏にはアスファルトで熱された靴で足の裏を火傷したり、
足のまめがつぶれて靴底が血まみれで赤く染まって
苦痛で歩けなくなることもありました。

想像以上に誰にも相手にされず、気がつけば多額の借金を背負うことに。その金額は約1000万円以上。
以前の生活とは一変。1円単位の切り詰めた日々を送る事を余儀なくされます。
それでも、あきらめず炎天下の中で額に汗して営業を続けました。

数ヶ月がたったある日、
そんな努力もやっと報われる時が来ました。

私の必死のアピールに
「じゃやってみてよ」という企業さんが現れたのです。
あの時の瞬間は今でも忘れられません。

断られすぎていたので、感動というよりは何が起こったのかわからず
口をぽかんと開けて魂が抜けたような感覚になりました。

そして、それをきっかけに
徐々に仕事も軌道に乗り始めたのでした。

【降りかかる新たな試練】

これで、借金も順調に返済できる。
そう思っていた矢先、また新たな試練が降りかかります。

旦那様が立ち上げた事業が次々と失敗。
新たに数千万の多額の借金がズシリと背中にのしかかります。

「神様なんて本当にいるんだろうか?」
努力は報われるという言葉を信じてきたのに…。
さすがのプラス思考の私も心が折れそうになりましたが、
そんなくよくよしている時間すらありませんでした。

その時の私の仕事は講演家、非常勤看護師の2つ。
当然その2つだけでは生活が厳しくなり、
もう1つ新たな仕事を始めることに。

【強烈な仕事〜前を向いて歩いていけない病院〜】

仕事を2つ以上していた私の空いてる時間は深夜だけ。

そんな私が選んだ仕事は、 日本中からホームレスの方が集う
まさにホームレスのメッカと呼ばれる地域の 病院の救急看護でした。

この病院に勤めだしてから、
病院までの道は常に 足元を見て歩くようになりました。

前を向いて歩けないんです。

なぜだかお分かりでしょうか?

すいませんがお食事中の方は食後にお読み下さい。

その理由とは、 散乱している排泄物を避けて
歩かなければいけなかったからです。

初めて来た時は、それは、想像を絶する世界でした。
今の日本でこんな世界があるのかと、
驚いたのはそれだけではありません。

道端には倒れている方や瀕死状態で痙攣している方。
ガリガリになって飢餓寸前の方。

「ここは本当に日本なのか?」 と初めは本当に信じられない光景のオンパレードです。

でも、しばらく務めている内に 「これは日本の未来ではないかと。」
私の心境は次第に変化していくようになりました。

「日本の未来なんていくらなんでも大げさでしょ。」と もしかすればあなたは思うかもしれません。
しかし、日本の現状はとても深刻です。医療費はその当時からウナギ上りで上昇しています。
このままのペースでいくと、30年後には国家予算に匹敵する70兆円になるかもしれないとも言われています 。

このまま放っておくことが決して大げさな話ではないことが
お分かりいただけるでしょうか?

「みんなで日本の未来を真剣に考えなくてはいけない。」

この経験は、私の講演活動での情熱を
さらに燃え上がらせるきっかけとなったのでした。

【講演家を続けられた理由】

講演家になって早いもので15年が経ちました。

振り返ってみると、なかなか波瀾万丈の人生でした。
借金地獄が続いたり、だんな様がうつになったり
本当に神様は結構いたずらをしてくれたなぁと。

正直金銭的な面では、子供の給食費が払えない時があった程厳しく、講演家を続けるには厳しい時期もありました。。
でも講演家はやめられなかった。

理由は2つあります。 1つは、私には使命があったこと。

先ほどをいいましたが、医療費問題を皮切りに 日本がたどっている道のりは本当に危険で
このままだと日本崩壊も大げさではないと真剣に思っています。
これは、会社設立の時からずっと訴えつづけていたことなんですがね。

私達が子供、孫の世代にタスキをつないでいくために
なんとか解決をしなければいけない重要な課題です。
そのためには、私が健康の大切さを伝え明るい未来に変えていく!
この想いを伝える必要があったからです。

そして、やめられない2つめの理由が
講演が楽しすぎることです。

私は本当に講演が大好きです。
特に、話に耳を傾けない寝てる人や腕を組んで踏ん反り返っている人。
そんな人をどうやって私の世界に引き込んでいくのか(笑)
オセロを黒から白にパタンパタンと裏返す感覚。
これがたまらなく快感なのです。(笑)

まあこれは半分冗談ですが、みなさんの笑顔でパワーをいただける時
本当に「やっててよかったなぁ。講演最高!」と 幸せ物質のセロトニンが体を癒してくれるのです。

だからやめられない。
それが私が講演を続けている理由です。

これからは講演人生をさらに加速させて
日本中を暴れまわろうと企てております。

その時はぜひあなたとお会いできることを楽しみにしています。
一緒にこれからの日本を面白くしていきましょう。

長々としたストーリーを読んでいただきありがとうございました。

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